カテゴリー別アーカイブ: 乳がん

管人間から真人間へ

すず奴です。

昨年10月の入院の話がまだ終わってないとは!
どっひぇ~

時間が経つと「わざわざブログに書かなくてもいっかなー」と思えて
きちゃっていけない、いけない。

可能な限り、記録しておこう。

注意)ちょいグロな写真があります


■10/11

手術後、私は管人間(くだにんげん、姉により命名)になっていた。
口に酸素マスク、左わきにドレーン、右手に点滴、そして尿道カテー
テル。身体が外界にぼんやりと拡張している感じがした。

管がついたらさぞや動きづらいだろうなーやだなーと手術前は思って
いたけど、実際のところ眠いし動きたく無いし動く必要も無いしで
あまり苦じゃ無かった。

でもちょっと動くと、左のわきが無性に痛い。

あらやだ、手術したところってこんなに痛むのね。
けっこう大きい傷になったのかしら・・およよよ・・と悲しくなって
いたんだけど、実際に痛いのは手術したところではなく、ドレーンが
体内に入ってるところだった。身体を動かすたびにドレーンが肋骨の
神経を刺激する。

ドレーンって痛いんだな。
切って取って縫った手術部分より痛むなんて。

おそるおそるわきを見てみたら。
ドレーン、こんな風にがっつり入ってた↓
体外に出るポイントで、ズレないように皮膚と縫い付けてある・・
痛いよ、そりゃぁ。




さて、管人間から真人間になっていく過程を書いていこう。
けっこうあっさり短期間で戻れたよ◎


1)酸素マスクOFF(真人間度:20)

10/10手術日の夜、執刀医の先生が様子を見に来がてら外してくれた。

ついでに「今日は何人くらい手術したんですか?」って聞いてみた。

先生は思わせぶりに「ふふふ~何人だろうねぇ」って言うだけで人数は
教えてくれなかった。

私の前と後にも手術を受けた方がいるようなので、少なくとも3人?
もっと多いかも?
大変な仕事だな・・あと人数とかむやみに教えたりしないんだな。


2)カテーテルOFF(真人間度:50)

10/10手術日の深夜、看護師さんが抜いてくれた。
同時に手術時からつけてたむくみ防止ストッキングも脱がせてくれた。

「点滴ついたままですけど、自力でトイレ行ってみてくださいね~」

って看護師さんに言われたものの、眠いし面倒なので行かなかった。


3)点滴OFF(真人間度:70)

10/11手術翌日の早朝、看護師さんが抜いてくれた。

身軽になったのでゆっくり起き上がってトイレに行った。
左わきが痛むとはいえ全然普通に歩けてびっくり。
さらにハンパ無い量のおしっこが出てまたびっくり。
(尿量計測継続中だったので測ったら計量カップ満杯だったw)

頑張ってもっと早めに行っておくべきだったかも、トイレ・・

なんと、手術翌朝までにドレーン以外の管が全部外れたことになる。
医学って、人間の身体って、すごいなぁ。


8:00。点滴も抜けたので朝食を食べる。
朝食を食べ終わった頃、母とダンナがお見舞いにきてくれた。

「できるだけ歩いてリハビリしてくださいね」

と看護師さんに言われたこともあり、昼食を食べた後、3人で院内の
ホールで開催されるクラシックコンサートを聴きに行った。

ちなみに、ドレーンから排出される体液はこんな感じにパックに保管
される。パックを首から下げれば移動も楽々♪

(ちょいグロ注意)




コンサートでピアノやフルート、バイオリンの演奏を聴いた。

14:00、乳がん経験者の方がボランティアで話に来て下さった。
1対1だよー。贅沢だよね。ありがたい。
術後のこと、社会復帰のことなどを話していただいた。

ボランティアの方とお話しして気付いたこと。
がんのステージって、手術で摘出した部分を調べた上ではっきりする
ものだってこと。つまり手術後じゃないと判明しないの。

手術前の生検で「非浸潤ガン」と分かって、本やネットで
「非浸潤ガン=ステージ0」って情報を得てそう信じてたけど、
先生から直接伝えられた訳ではない。そう、私が勝手に「ステージ0」
と思い込んでいただけ。

・・あわわわ。なんか先走っちゃってた。

※後日、術後診察で「ステージ0」と診断され、ほっとしました。


夕方、姉夫婦が関西からお見舞いに来てくれた。
お花と、三番目の妹(※)と一緒に作ってくれた手作りクッキーと
手作りくまモンカップケーキをもらった。嬉しい!!

※松山家は四姉妹。すず奴は次女。




母とダンナと姉夫婦が帰って一人になると、やっぱりさびしい。

看護師さんに背中を拭いてもらい、下半身だけシャワーを浴びた。
ドレーンが抜けたら全身シャワー可能。早く髪を洗いたい・・

今夜も何もすることが無いので寝た。今夜もよく眠れた。


退院するまで書ききろうと思ってたけど、もうずいぶん長文になっ
ちゃったので、ドレーン着用のまま(※真人間度:70)次回へ繰り
越します◎ 次回こそ退院まで書ききるぜっ

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初めての入院、手術

かなり寒くなってきましたね。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。

ようやく手術と入院についてブログ書きます◎
もうだいぶ忘れかけてるわー(汗


■10/9

12:30、病院へ。
着いてすぐ、マンモグラフィとエコーを受ける。
手術個所をマーキングするためだ。

※私のガン細胞は非浸潤で小さく、転移の可能性は低いためセンチネル
リンパ節生検は受けなくて良いと言われ、受けなかった。
センチネルリンパ節生検とは、乳房に放射性同位元素を注入して腋の
リンパ節へのがん転移有無を調べる検査法。

その後、入院手続きを終えて病室へ。
今日から何日間か入院。明日が手術日。

私は聖路加国際病院に行っている。
聖路加の入院部屋は全室個室で、しかも乳がん患者専用のフロアがある。
私はそのフロアの端っこの部屋に入った。

入院に際してはダンナと、実家からわざわざ母が来てくれた。
前回の上京でメダカを空輸した母の、今回の空輸便はヤマトヌマエビ。
エビ、可愛いです。

◎お見舞いにもらった品々◎
$太ももサティスファクション☆


病室でぼーっとしていると、明日の手術を担当してくれる看護師さん
が説明に来たり、入院病棟の看護師さんが問診や検温しに来たり、
薬剤師さんや麻酔医さんが説明に来たり、そして執刀医の先生がおっ
ぱいに線を書きに来たりした。つまりけっこうな頻度で人が来た。

先生が書いた線がけっこう衝撃的だったので紹介しよう。
こういうやつ↓
$太ももサティスファクション☆


先生が書いた線を黒い線で表現してみました。斬新でしょ!

もう一つ斬新だったのが、会う看護師さん看護師さんに「楽器演奏され
るんですよね。トロンボーン?ですよねスゴーイ!」って言われたこと。
留学するつもりだったことがカルテに書いてあって、共有されているの
だろう。

で、電子カルテ~~!

私がIT関係の会社に入社したての頃、話題になってたやつ。
ちゃんと実用化されてるんだなぁ。当たり前か。

病院というとパソコンとかケータイNGだと思ってたけどそんなことは
もちろん無くて、部屋では自由に使える。無線LANの貸し出しサービス
もあった。ダンナに借りて来てもらった。

18:00、夕食を食べ終えた後、ダンナと母が帰宅した。
さみしい。

さみしさを糧にw、ブログを一本書いた。

おっぱいのマークが消えないよう気をつけながらシャワーを浴び、風呂
上がりのアルジネードウォーターを飲む。

アルジネードウォーター
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これは明日の手術前の点滴を省くための飲みもので、アルギニンが沢山
入っている。味は濃いスポーツドリンクという感じ。
夕食後から明日の11:00までに6本飲まなければならない(汗

ちなみに、入院直後から術後尿管カテーテルを抜くまで、トイレに行
く度におしっこの量を測って記載させられた。けっこう楽しかった◎

24:00、以降絶食。

眠れないかも?と心配だったけど、持ち前の寝付きの良さで熟睡◎


■10/10

手術日当日。
母とダンナが来てくれた。
ブラックなら飲んでいいと言われたので3人でコーヒーを飲む。
(関係無いけど、聖路加1階のスターバックスは大変儲かってると思うw)

11:00、以降飲水禁止。

手術着に着替える。指輪も外した。
着るのは脚のむくみを防ぐ白いタイツと、脱ぎ易そうなパンツと服↓
$太ももサティスファクション☆


髪の毛は「結ぶ箇所によってはたんこぶが出来ますよ」と聞いたので
無難におさげ↓
$太ももサティスファクション☆


あふれる昭和臭。どすこい昭和の生まれですたい。

ふざけながらも時間は刻一刻と過ぎ行く。
ももももうすぐ手術。
生まれて初めての手術!

緊 張 す る ぅ ー ー ー ー ! !

14:00、看護師さんに連れられて歩いて手術室へ。

ダンナから「頑張って」と言われ、母から「私の子だから大丈夫」と
言われハグされ、手術前なのにななな泣きそうだよ・・・汗

手術室は緑色だった。テレビや映画でしか見たことなかったけど本当に
こんな色なんだ!と感激したと同時に怖くなった。手術で使うギラギラ
した器具が沢山ある。拷問部屋みたいだ。

ベッドに寝かされ、右手の静脈から全身麻酔が打たれた。
看護師さんに「ミュージシャンなんですよね?トロンボーン吹くんです
よね。身体小さいのにすごいですね~」とまた言われたので、右手の先
から少しずつ身体がひんやり麻痺していくのを感じつつ「どうして知っ
てるんですか?」と聞いたら「あ~、カルテに書いてあるんですよ~」
と返事されて「やはり・・で・・んしカル・・テ・・」と思ったあたり
で目の前がふわ~っとなって昏睡。

「・・すずこさーん」と呼ばれてぼんやり目を開けたは回復室。
えっ?う、うそっ・・手術終わってるーーー・・・

ベッドに寝たまま、手術室を抜けいつもの待合室を通過し、入院してい
る部屋へ戻った。

待合室のあるあの道を、私ったら手術後の弱った姿で!ベッドに寝たま
ま!管いっぱいつけたまま!通過してるっ!恥ずかしいっっ!!←?

とかぼんやり思ってたw

手術は特に問題なく2時間程度で終わったらしい。
口には酸素マスク、右手に点滴、股から尿道カテーテル、おっぱいには
ドレーンのついた”管人間”(くだにんげん。後日、姉により命名)状態。
麻酔が切れていないため特に痛みも感じず意識も朦朧としていた。

◎朦朧◎
$太ももサティスファクション☆


手術の後しばらく側にいてくれたダンナと母も帰宅してしまった。
今日はもうすることが無いと諦めて、思う存分寝た。





やっと手術のブログが終わりましたw
次は管人間から真人間に戻っていく過程を書きます◎おたのしみに~

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手術前、ちやほやされる日々

すず奴です。
前のブログからだいぶ日が経ってしまいました。
無事退院して、音楽活動も今までのようにやってます。

まただいぶ遡りますが、今日は手術前に友人たちから励まされたことを
記しておきますっ◎


以前にも書いたけど、私は友人が少ない。
悩みを相談したりするのも得意ではない。
でも、今回は乳がんだってことにかこつけて、3人の友人に悩みを聞い
てもらった。


一人目。

私の尊敬する年上の友人。
私が留学するって噂を聞いて、壮行会やろうっていう連絡をくれた。
乳がんになったって伝えると「おー、じゃぁ留学じゃなくて手術に向け
た壮行会をやろう」ってなって、会った。

友人と書いてはみたけど、実は彼女とはそんなに親しくはないw
会うのもほぼ一年ぶり。
私が一方的に彼女の生き様や言葉に元気づけられて勇気づけられて、
カッコいいなーって思って慕ってる、そんな関係。

彼女も病気と付き合いがあって、手術も投薬治療も経験済み。
経験に基づく優しい言葉をいくつももらったのだけど、一番心に残っ
たのは

「ちやほやしてもらえるの今のうちだけだよー、40代になったら周りも
 大きな病気する人増えるし、親の介護も始まるし。初期の乳ガンとか
 かっるーいもんだから。今のうちに思いっきりちやほやされなよ~」

という言葉。
笑い泣きしてしまった。

こんなことが言える、面白くて優しい彼女が本当に好きだ。

もう一つアドバイスをもらった。

「変に我慢したり隠したりしないで、言葉に出して言っちゃいなよ」

ありがとうございました。
心に溜まった気持ちの澱は、話して、ブログに書いて、昇華させます。


二人目。

彼女と会うのは2年ぶりくらいか。
ずっと会いに行きたくて行けてなかった。

彼女も若い頃に病気が見つかって手術を受けている。
病気の話とか音楽の話とか共通の友人の話とか、一晩中ずっと話した。
すっげー楽しかった。

彼女が言った心に沁みた言葉。

「しんどかったら辞めちゃいなよ。すずちゃんはしんどくてもダラダラ
 続けがちな悪い癖があるけど、すっぱり辞めたら”すぐ辞められる自信”
 がついて自分の強みになるよ」

乳がんになって手術して放射線治療等を受けて・・というちょっとしん
どい生活をしばらく送らなきゃならないんだから、治療以外のしんどい
ことやストレスはこの機会にさくっと辞めちゃいなよ、っていうことな
んだけども。

ほんと、私ったら鬱になるまでサラリーマンをダラダラ続けちゃうよう
な”辞め下手”なんだけど、今もまたしんどいって思いながらもズルズル
続けちゃってることがあるのね。

さらに

「辞めたら辞めたでモヤモヤするんだけどさ、そのときは心のままに
 モヤモヤすればいいんだよ」

とまぁ、先を見据えた素晴らしいアドバイスももらった。

辞めてすっきりしてる自分、たまにモヤモヤする自分を想像してみる。
うん、悪くないね。


三人目。

彼女と会うのは一ヶ月ぶりくらい。
サラリーマン時代から今までの私をよく知ってくれている友人。
一緒に音楽をやってきた仲間でもあるから、前置きなく色々と話せる。
小っさ~い愚痴をたくさん聞いてもらってたくさん笑ってスッキリした。

彼女と知り合ってから今まで、お互い色んなターニングポイントがあっ
た。バンド始めたり解散したり、好きな人ができたり失恋したり同棲始
めたり解消したり結婚したり、引越したり、会社辞めたり転職したり、
そして病気になったり。←new!

例えばたをやめだと、私がかつてサラリーマンだったことも、恋愛体質
とばかりに落ち着かない日々を過ごしていたことも、喫煙者だったこと
も、メンバーはほとんど知らない。

でもこの友人は全部知ってる。
全部分かってくれているということの安心感ってスゴイ。
会うとすごくほっとするんだ。

この後も何度も連絡をくれた。心配してくれているのが伝わってきて、
なんというか”あ、私、今ここにちゃんと生きてるんだなぁ”って思えて
ぽわわわーんって嬉しくなってた。
本当にありがとう◎


彼女たちの言葉と、存在そのものにすごく励まされて(それこそちや
ほやされて)、私ったら幸せ者だ。

ありがとうございます。

twitterやfacebook、メールでも色んな方からたくさん励ましの言葉を
いただきました。ちやほやしていただきありがとうございました◎


ふぅー。
次はようやく入院・手術のことを書くでー!
待ってろよーっ◎

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代役問題勃発、すず奴ついに大爆発!?

すず奴です。
無事手術も終わり退院しまして、今自宅で静養中です◎
胸の痛みも日を追うごとに楽になってきてほっとしてます。

手術のときの話を早く書きたいんですが、昔のことほど早く忘れちゃうの
で時系列に沿って「代役問題勃発」のときのことを書きます。


■9/5

アメリカの友人からまたメールが来た。
例の、10月にsuzumikiでアメリカに来て欲しいって言っていた友人。

先日、乳がんが見つかったので行けないというメールを送った後すぐに

「分かった。残念だが、すずの健康が第一だ」

という承諾の返事をもらっていたので「またメール送って来るなんて一体
どうしたんだろ?」と思いながらメールを開く。

そこには衝撃的な言葉が。

「君が出られなくて残(ry
 どうしてもsuzumikiに出て欲しい。
 すず、君の代役が務まる人を誰か推薦してくれないだろうか」

ま さ か の 代 役 依 頼 ! !

はぁ!?って思うのと同時に、私の脳裏には最近知り合った素敵な女性
リョコさんのことが一瞬で思い浮かんだ。
若くて容姿端麗、コスプレに抵抗無い(普段ピンナップガールやってる)、
トロンボーンも上手、ダンスも歌も出来て英語とドイツ語も堪能。

私よりも大いなる輝きと存在感を放つであろう姿が瞬時にイメージできた。

ああ・・・きっと素敵だろうね・・・ふふふ・・・
ひと通りイメージを巡らせた後、私の中で一気に負の感情が噴出した。

んもーーー!なんでなんでなんでなんでなんで!
私だってアメリカ行きたかった!仕事したかった!
もう二度とこんなチャンス巡って来るはずないよ!
留学に続いてまたチャンス逃しちゃったよ!
悔しい悔しい悔しい悔しい悔しいーーっ!!!!

しかし側にいたダンナは冷静で「しょうがないよ、代役候補見つかって
良かったじゃない。アメリカにはまた行けるよ」なんて至極当然のことを
淡々とおっしゃってくれるもんだから

そ ん な こ と 分 か っ て る っ つ う の !

しょうがないのも、素晴らしい候補がいてありがたいのも、
アメリカにもまたいつか行けるだろうってこともよくよく分かってる、
正論だって分かってる、
でもそういうことじゃない。
私のこの悔しさは正論では解消しない。
私がその企画に参加できないっていう悲しい現実は、正しい答えなんかで
埋め合わされるものじゃないんだーーーーっ!!

って泣いて叫んで身の置き場が無くなって家を飛び出した。

星が綺麗だったとか、あら少し涼しくなったのねとか、そんなことはどう
でもいい。
ザ・不条理だ。私の大っ嫌いな不条理だ。悔しい。悔しい。猛烈に悔しい。

嗚咽をもらしながらコンビニに行ってアイスを買って、ゆっくり歩きなが
らアイスを食べた。ゆっくり歩かないと食べ終わる前に家に着いてしまう
から。

もう少し若かったら友人のバーに駆け込んで泣き酒したりしたんだろう。
コンビニでアイスって・・子どもみたいだな。


正直に言うと、友人の企画が本当に実現するかどうかさえ最近まで半信半疑
だったし(J氏、ごめん・・)、仮に実現したとして、suzumikiが参加でき
なくても大した問題じゃないだろうと思っていた。

なのに実現する、代役探して欲しいって聞いただけで悔しさ大爆発させるな
んて、私も本当に身勝手というか現金というか。


その後、リョコさんには代役を喜んで引き受けてもらい、みきおと顔合わせ
したり3人でリハしたりコスチュームを一式お貸ししたり、した。

それらの作業は楽しかったし、みきおとリョコさんの珍道中wを想像すると
つい笑ってしまうし、現場を想像してワクワクもするのだけれど、本当に
私は業が深いというか卑屈というかなんだろう、常に心のどこかに未処理の
悔しさや悲しさや妬みがあってチクチクと心が痛んだ。

こういう妬み?とか、マジほんっといらないんですけどー。

負の感情を早く乗り越えられる大人になりたい。切に。

ちなみにこのsuzumikiの渡米は渡航費もギャラも出るちゃんとした仕事。
詳細はまだ書けないけど、すごくワクワクする内容です◎
発表できる日を皆さまも楽しみにお待ちください。


次回は入院前に友人たちから勇気づけられた話を書く予定です。
入院、手術の話はその後で。るーん◎

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ステージ判明、そして初めてのART外来

すず奴です。
今日から入院で、明日手術です◎
頑張ってきます。

がん告知から悲劇のヒロイン2週間を終え、ついにがんのステージが
判明する日が来ました。


■8/28

朝からダンナと母と3人で病院へ。

皆さんはがんのステージをご存知かしら。
ステージとはがんの現在の病状や進行度合を示す数字のこと。
数字が小さいほど早期で、治癒する確率も高くなります。

以下、「乳がん百科」というサイトから拾ってきた画像。

$太ももサティスファクション☆


告知される前からがんの場所になんとなく違和感を感じていて自分の
感覚にちょっとした自信を持っていた私は、同じおっぱいの違う場所
(二ヶ所がんがある!?)や鎖骨のあたり(リンパに転移してる!?)に
違和感を感じていた。
※ちなみに違和感のあった箇所は後日生検を受けることになった(汗

つまり、かなりナーバスになっていた。

「ステージ2には到達してるだろうな・・あああ
 転移怖い・・抗がん剤で超ロン毛の髪も抜けちゃうんだろうな・・
 ホルモン療法は年齢的にしんどいし・・」とかぐるぐる考えていた。

少し待って診察室へ。
2人も同伴者を連れていることに驚く先生w

「先週の生検の結果、非浸潤がんという乳腺に留まる範囲でのがんだ
 と分かりました。エストロゲン受容体とプロゲステロン受容体は陽
 性です。HER2タンパクはほぼ陰性という結果ですが、術後の検体で
 再確認しましょう。」

むむむっ
非浸潤がんですと!?
それは初期の初期のガンということですな!?

よ か っ た !

「非浸潤がんですのでおそらくリンパへの転移も無いと思います」

むむむむっ
転移が無いですと!?
つまり抗がん剤治療もホルモン療法も受けなくてよさそうなのですな!?
(エストロゲン受容体プロゲステロン受容体ともに陽性なのでステージ
 によってはホルモン療法も受ける必要があった)

よ か っ た ! !

ほっとしつつ、卵子凍結についても先生に相談してみた。
ホルモン療法や抗がん剤治療が必要になった場合、妊娠できる時期が
遅くなってしまうのと、薬剤により卵子の機能に影響が出る可能性が
ある。それらの治療が始まる前に卵子を凍結保存しておいた方がいい
かも?と思っていたのだ。

「ご結婚されているので卵子凍結ではなく受精卵凍結をお薦めします。
 現在のがんの状態からすると受精卵凍結の必要性は無いと思います
 が、ご興味があるのでしたら生殖補助医療(ART)外来窓口に予約
 を入れて相談してみてください」

ARTのパンフレットを受け取って診察室を出た。

ほっとし過ぎて、ブレストセンターの待合室で「よかった」とつぶや
いてしまいダンナに怒られた。怒られたのに2回もつぶやいてしまっ
た。待合室にいらした皆さま、軽卒な言動をして本当にすみません。

ART外来窓口に電話して予約を入れる。
その後、手術に必要な尿検査と血液検査、心電図検査を受けて会計を
済ませて帰宅。本日の所用時間、3.5時間なり。

帰宅して乳がんの本で自分のステージを再確認した。

非浸潤がん=ステージ0

初期中の初期!まさに the beginning of the beginning!
ほっとした。
本当にほっとした。
ほっとしたので気が大きくなった。

実はここ数ヶ月の間、アメリカにいる友人から、10月後半のある企画
にsuzumikiで参加して欲しいと頼まれていた。
10月後半なら、ちょうど手術が終わって放射線治療が開始するまでの
期間に該当する。やった!企画にも参加できそう!?

ダンナに話したら激怒された。
安静にしていなければならない時期に長時間飛行機移動とか野外での
演奏とか、バカなの死ぬの!? そうやって予定詰め込む癖を見直すべき
ときに来たってことなんじゃないの!? と。

そのとおりだ。
ごめんなさい。

アメリカの友人に詫びと断りのメールを入れた。


■8/29

昼、病院へ。
ART外来で受精卵凍結についての話をうかがって分かったこと。

– 保険適用外なのでお金がすごくかかる
– 毎日注射を打ったりせねばならず時間的に拘束される
– 成功率は決して高くない
(卵子を採取できる確率×受精する確率×妊娠する確率・・)
– 術後の合併症や副作用が起こる可能性があり、それらが起きた場合
 はがん治療のスケジュールに影響が及ぶ
– 原則として、抗がん剤治療を受ける予定の無い方には実施しない
(どうしても凍結保存したければ他の病院を紹介する)

受精卵凍結や卵子凍結の他に卵巣組織凍結もあると知った。
卵巣を摘出して細かく刻み、卵子が存在する部分を凍結保存する方法。

受精卵凍結る~ん♪みたいな軽い気持ちで相談に行ったので、情けな
いことに先生の話を色々聞いてくっらくらしてしまった。

受精卵凍結を一度やろうとしたら、約40~50万のお金と1~3週間の
時間がかかる。なのに妊娠に至る確率は高くない。数%程度かもしれ
ない。

ニュースや人の話でしか聞いたことが無かったけど、不妊治療って本
当に大変だ。少子化が深刻な問題になっているのだから、せめて保険
適用になったらいいのに。

私は今のところ抗がん剤治療を受ける予定が無いので、受精卵凍結は
やらないことにした。


夕方、母の希望で忌野清志郎のお墓参りに行った。
霊園に行くまで知らなかったのだけど、同じ霊園に寺山修司のお墓も
あったので併せてお参りして帰った。
緑に囲まれた静かな霊園だった。



今回も長文におつきあいいただきありがとうございました。
手術前にステージのことをどうしても書いておきたくて。
次回は「代役問題勃発、すず奴ついに大爆発!?」をお送りします◎

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悲劇のヒロイン週間 -2週間目-

すず奴です◎

悲劇のヒロイン週間、2週間目に突入です。


■8/22

昼、英会話レッスンへ。
ジョンから、入学時期をずらすときは”defer”(延期する)という単語を使
うんだよと教えてもらう。とても良い情報!ありがとう◎

そしてカウンセリングへ。
私はうつになった会社員時代からカウンセリングに定期的に通っている。
うつが治った後も、定期的に通うようにしている。

私はストレスを自分で解決するのが上手ではない。そして悩みなどを気軽
に話せる友人があまりいない。なのでカウンセリングは私にとってとても
大切な場になっている。

さて。

先生は乳がんのニュースにとても驚いていた。当たり前か。
色々話して泣いた。

私は心配事を先取りして余計に悲観的になってしまう癖があるので、これ
以上乳がんの本を読んだり知識を得ることはやめるようアドバイスをもら
った。そして辛いことはダンナに全部やってもらいなさい甘えなさいとも。

カウンセリングも本来は今日で終わりの予定だったけど、手術やら何やら
で心の状態が心配なので続けさせてもらうことに。

帰宅。バークリーからの返事は無い。
また違う部署にしつこくメールを送る。早速”defer”を使った。


■8/23

逗子OTODAMAでエレキベースのライブ。
OTODAMA、いいハコだった。砂の床、しっかりした屋根と壁があって広
くて音響も良かった。今年で最後だそうで、残念。

景気付けにトンカツを食べ、夜は戸塚のホテルに泊まった。


他のがんにも言えると思うのだけど、がんって原因が分からない病気だ。
(肺がんとかは原因がはっきりしてるかもだけど)
だから予防することができない。
ストレスなどで免疫が落ちたときに発症したりするとかなんとか言われた
りする。

乳がんはとてもゆっくり進行するがんで、先生曰く私のがんは10年くらい
前にでき始めたものらしい。

20代でサラリーマンとバンドを頑張ってたときに生まれた私のがん。

私は当時「仕事の愚痴を言うのはかっこ悪いし相手にも失礼」という信念
を持っていた。”忙しい自慢”をする同僚をバカにもしていた。

そんな私が、過去を振り返って”忙しかった自慢”をします◎


♡OLすず奴の忙しかった自慢♡

入社2~3年目に雑用で参加したプロジェクトが激務だった。
残業と休日出勤とストレスで免疫が落ちた私は眼にものもらいができ、
鼻と唇の間にヘルペスができ、口内炎ができ、そして乳首が膿んだ。
つまり身体の粘膜が、上から下に向かって弱っていった。
ぎっくり腰もやらかした。

もちろん私の身体のことなどおかまいなしにプロジェクトは進む。
真面目で頑張り屋の私は会社を休むこともなく働き続けた。
乳首の状態はどんどん悪化し、下からぱっくり割れ始めた。

「このままいくと乳首が取れて無くなるかも・・ぎゃー!!」

って不安MAXになった頃、プロジェクトが終わった。
乳首は無事治癒した。

  ~FIN~


あのとき膿んだのがもしや原因!?
とハッとしたけど、膿んだのはがんになったのと逆側のおっぱいだから
違うし。w

忙しい自慢はどうでもよくて。
仮にそのときのストレスで乳がんがぽっこり生まれたとしたら。
それって、私がひとに言わず呑み込んだ「仕事しんどいよー!」っていう
心の叫びそのものなんじゃないか。

その後も心の叫びを無視し愚痴を言わぬままもくもくと忙しい仕事を続け
ストレスの大きいことを我慢してやってきた結果、「しんどいよー!」が
少しずつ蓄積されて、がんとして検知される大きさになったんじゃないか。
と、妄想が行き着いた瞬間、

乳がんーーー!なんかありがとうーー!愛おしいよお前が!
しかもしんどいのを私の代わりに溜めてきたのに自ら切除されるなんて、
なんていじましいんだァーーーッ!!

と叫んでいた。泣いてがん部分を優しくなでさすりながら。

これもヒロイックな考え方。


■8/24

材木座海岸でたをやめコケストラのライブ。
しらす丼を食べたり海を見たりした。pBoneが好評だった。


■8/25

昼から夜まで私のデート


■8/26

夜、たをやめのリハ。例の比較癖で勝手に落ち込みつつ帰宅。

ダンナが海外出張から帰って来た。

バークリーからはまだ返事が無い。
ダンナに明日まで返事が来なかったら電話をかけてとお願いする。

ダンナは私のことを気遣って海外保険や東京の家の引越などのキャンセル
処理を率先してやってくれた。すごくありがたかった。感謝。


■8/27

最後の英会話レッスン。
(9月からボストンに行く予定だったので、中国語もトロンボーンも
 英会話も習い事は全部8月いっぱいで終わりにした。)

どうせ日本にいるなら英会話も続けなよと提案されたけど、気持ちが前
向きになれず断った。

2年半の間、ありがとう、ジョン。


明日、ついにがんの状態やステージが判明する。
そんな明日に備えて母がメダカと一緒に飛行機に乗ってやってきた。
メダカと水槽があるからと羽田からタクシーに乗って来やがったw

っていうかメダカって・・(汗
私、飼ったこともないし興味も無いんだけど・・
魚を飼うのが好きなダンナが喜んでくれたのが唯一の救い。


そして、ようやくバークリーからメールが来た!

「入学時期は延期できるよ。奨学金も金額そのまま。ビザは別の担当から
 連絡させる。まず、いつに延期したいか教えて」

良かったーーーーっ!わぁーーーん!!
すっっっごくほっとした。

正直言うと留学する気力はほとんど無くなっていた。時期を延期したとこ
ろで本当に留学するのか自分でもよく分からない。
でも、自分から辞めるのと「NG」って言われて諦めるのとは違う。
選択肢が奪われず残ったという幸せ。本当にほっとした。



長文におつきあいいただきありがとうございました。
悲劇のヒロイン週間はこれで終わり。
次回はがんのステージが判明した日のことを書きます。

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悲劇のヒロイン週間 -1週間目-

すず奴です。

先日書いたブログががん告知日の内容だったので、読んでくださった方々に
とーっても心配されてしまいました(汗 すみません。
皆さまご心配いただきありがとうございます。嬉しいです◎
みんな優しいなぁーっ

さてさて今日は悲劇のヒロイン週間のことを書きます。長文で暗いですw


8/14にがん告知を受けてからがんのステージが分かるまで、2週間の間が
あった。この2週間はとても辛かった。


■8/15

8/17レコ発で発売するsuzumiki「ザ・ミゼラブルズ The Miserables」の
ジャケットを作るべくプリンタを買いに量販店へ。
ずっと使ってたcanonのプリンタが壊れたのだ。epsonに変えた。

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ザ・ミゼラブルズ iTunesでも買えます♪(宣伝)


20:00からたをやめのリハ。つらかった。

帰宅してジャケット印刷の続き。35枚完成。疲れたw


■8/16

朝から「otogamenashi おとがめなし」を5枚、「亡命 -seeking Asylum-」
を10枚量産する。

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おとがめなし

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亡命


昼、本屋で乳がんの本を3冊買った。
でもページを開く勇気が出ず楽器の練習したり、明日のsuzumikiライブの
シナリオを暗記したりして過ごした。

気力を振り絞ってバークリーにメールを送る。
– 入学時期を延期できるか?
– 延期できた場合、奨学金も変わらない額でもらえるか?
– 延期できた場合、ビザも今のまま変更しなくてよいのか?

「入試受け直して」って言われて終わりかなぁ。日本の大学だとそう言わ
れそうだよね。

今年の2月に浜松で行われた入学試験。
大学入試とも、就職活動とも、うつになって会社を辞めたときとも違う種
類のプレッシャーにさらされてしんどかったw
だって私は楽器も英語もうまく無い上に36歳だ。才能も時間もない。
TOEFLも合格点ギリギリ。色々ギリギリの中で掴んだ最後のチャンス。

入試のストレスに再度耐える気力は無い。もう無理。
入学延期がNGだったら留学は諦めよう。悔しいけどしょうがない。


■8/17

この日は忙しかった。
昼、浴衣でたをやめライブ@すみだストリートジャズ。暑かった。

一度家に帰って、大量の荷物を抱えてタクシーで渋谷ラストワルツへ。
南国☆パンティーズとsuzumikiのリハを終え、新宿のタワーレコードへ。
たをやめインストア@新宿タワーレコードに出た後、タクシーで渋谷へ。

suzumikiのレコ発イベントは本当に楽しかった。
自分の企画だから好きなアーティストばっかり集まってるし、久しぶりに
会いに来てくれた友だちと話して、楽器たくさん吹いて、ごろごろにゃー
んとか太ももの曲やって、わいわいして。

レコ発で「留学します!たをやめ辞めます!」って告白するつもりだった
のに言えなくなったことだけが残念。言いたかったことを言えないってし
んどい。

ライブの後、ルミエさんタカコちゃんと一緒に飲んだ。

「なんだかんだ言ってすずちゃんは太ももの後もsuzumikiでCD出したり
 ツアーしたりちゃんと音楽活動やっててすごい」
「今日も朝からライブ4本こなしてて本当にタフだと思った」

って言われてめっちゃ嬉しかった。
自分のやってることなんてたいしたこと無いとつい思ってしまうから、
言葉に出して肯定してもらえるって本当に嬉しい。
太ももやってて本当に良かった。太もも始めた自分、本当に偉い!
自分のやってたことに救われるという不思議。ありがたい。


■8/18

たをやめインストアライブ@ららぽーと柏の葉HMV。野外ライブ2セット。
暑かった。


■8/19

左手が痺れるのと、右足首が痛むので整形外科へ。
長い待ち時間を有効活用すべく、乳がんの本をようやく開いた。
手術で切除した部分に体液がたまる、それを排出するためにドレーン(管)
をつけたまましばらく過ごす、っていう箇所でしんどくなって本を閉じた。
しんどくて続きが読めなくなるという新鮮な読書体験。

ドレーン・・体液・・排出・・むむぅ・・悶々としながら診察へ。

「手の痺れは自然治癒する」けど「右足は靭帯損傷してるね、もう治らない
ね、運動あまりしちゃダメよ、ヒール禁止」と診断された。

ほほぉ・・靭帯損傷でござるか。
自分がどんどんポンコツになっていく気がして落ち込む。

夜は最後のトロンボーンレッスンへ。
バークリー卒の先生なので、留学の延期って可能なものなのか聞いてみた。
事務局は仕事しないヤツが多いからタイガー大越さん(トランペット奏者、
バークリーの教授)に直接連絡してみなよ、とアドバイスされた。

バークリーからの返事はまだ無い。
違う部署にもメールを送ってみた。
タイガーさんへの連絡は最後の手段にとっておこう。


■8/20

朝から夜までゆきのちゃんデート


■8/21

8:20、病院へ。生検を受けた。
麻酔して、がん細胞を取る。バネ式生検と言われるもので、少し太い針を刺
してバネではじいて細胞を取るのだけど、はじかれる瞬間に鈍い痛みが走る。
血がけっこう出た。

この生検でがんの詳しい状態やステージが分かるとのこと。
結果が出るのは1週間後。

針の跡から感染しないよう、おっぱいにごっついガーゼをあてられテープで
がっちり補強された。

家に帰って楽器を持って渋谷へ。たをやめコケストラのリハをやった後、
渋谷タワーレコードへ。今日もたをやめのインストアライブだ。

たをやめは今、CDが全国発売になってライブも増えてみんな活き活きした
熱気に包まれている。たをやめの一員になりきっているときは大丈夫なのだ
けど、気を抜くとその熱気についていけなくなりそうで怖い。

この日、初めてリョコさんに会った。
一目で素晴らしい才能と美貌と若さの持ち主だと分かった。

この頃から若く美しい女性ミュージシャンがいつも以上にまぶしく見えて、
よせばいいのにそんな彼女らと自分を比較して勝手に落ち込むようになる。


帰宅。ダンナは海外出張に行っていて私一人。
一人でいるとつい、乳がんの本を読んだりネットで調べたりしてしまう。
最悪の事態を想定しておけば、生検の結果がどう出ても受けとめられるだろ
うから。賢い患者でいたいから。しかし知れば知るほど気持ちは落ち込む。

全摘なら再建したいけど後背筋皮弁法でいけるかな・・私の背中ってあんま
り脂肪無いからシリコン薦められるかな・・エキスパンダー取れるまでけっ
こう時間かかりそうだな・・転移してたらどうしよう・・ホルモン療法必要
になったら妊娠できるようになるまで何年もかかる・・子ども諦めなあかん
のかな・・・この年になるまで子どもも作らず自由に生きてきたバチがあ
たったんかな・・・私、いつどこで何を間違えたんだろう。どうしてたら
良かったんだろう。なんでこのタイミングなんだろう。もう時間がないのに。

まるで悲劇のヒロイン。自分より不幸な女はこの世にいないって勢い。
いつも以上に自分のことばっかり考えてよく泣いた。


悲劇のヒロイン週間、なんとまだまだ続きます◎www

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8/14にあったこと

すず奴です。
真面目に書いていきたいので、ピンクじゃなくて黒色で書きます。


8/14にあったことを記録しておこうと思う。

9月から私は、ボストンのバークリー音楽大学に留学する予定だった。
なのにまだ住む家を決めてなかった。

数日前からようやくボストンにある日系の不動産屋に連絡を取り始めていたもの
の、送られて来たメールには至極当然ながら
「早く契約しないとどんどん物件無くなっちゃいますよー」っていう文字。

ボストンにはハーバードやMITなどを始めとする大学や教育機関が沢山ある。
人の移動が多い街だから、良い賃貸物件はすぐに埋まってしまう。

9/4からボストンに行くってのに8/14の時点で住む家も、とりあえず泊まるホテ
ルさえも決まってなかった。そんな自分の現状をようやく理解して猛烈に焦って
いた。

10月から空くという賃貸物件の予約と、その物件に引っ越せるまでの短期の賃貸
物件を早く予約しなきゃ、今日帰宅したらすぐ予約用の書類を送ろう。と考えを
巡らせながら電車に乗っていた。

11:30、病院に到着。自分の診察時間が来るのを待つ。


=====

8/14の約2週間前、病院から再検査結果の手紙を受け取っていた。
「悪性腫瘍あり。再度病院に来てください」といった内容だった。

普通は手紙を受け取った時点で気付くだろう。だって「悪性」って書いてあるもの。
でも私は「あぁまた病院に行かなきゃいけないんだ、面倒だなー。」くらいにしか
思って無かった。

9月からの留学に向けてまだ色々やらなきゃいけなくて手紙どころでは無かったし、
何よりも8/17に意識が向いていた。

8/17にsuzumikiのレコ発イベントを企画していて、その日に間に合うようにレ
コーディングをして、CD量産して(suzumikiのCDは全部私が手作りしているw)、
そしてレコ発で「留学します!たをやめも9/1で辞めます」って関係各位とお客さ
んに伝えるために。8/17を節目となる日にするために。

頭の中は留学に対する不安やら8/17に向けての意気込みやらでいっぱいで、
「悪性」を伝える手紙とか記憶に残らなかったんだな。

=====


2時間くらい待った。診察室に呼ばれた。先生がまず謝ってきた。

「長時間お待たせしてすみません。そしてこんな大切なことを手紙で伝えて
しまってすみません。」

そこでやっとですよ。
あれ?そういえば手紙に「悪性」って書いてあったような・・
えっ。も、もしかしてそういうことなんです・・かね・・?

がん告知を受けた。

告知をされつつ、がん告知ってこんなにさらっとしてるんだな、とか待合室で
「乳がんと言われたら」的な雑誌をパラ読みしていて良かった!とか思ってた。

パラ読みしてなかったら乳がんについての知識が無さ過ぎて先生と実のある会話
ができなかったと思うの。

細胞診の結果について説明する先生の言葉をパラ読みの知識で理解しつつ、次の
検査日の予約や手術日の予約をしましょうはい手帳開きましょうってなって。

8/21に生検をします、その結果は8/28には分かります、その後MRIや専門医に
よるエコー検査を受けて・・最短で10/10手術ですね、長くても1週間くらいの
入院ですむと思いますよ。

・・えっと、えーっと、えっと。
私、9月から留学する予定でして・・・えっと、えっと。

「手術を先延ばしにしたらマズいですよね・・?」

みたいなアホなことを質問したと思う。
そしてアホだからスケジュールしか意識が向かなくて、今後について聞いた。

手術後1ヶ月したら放射線治療開始、放射線治療は1.5ヶ月くらい週五日で通う。
うまくいけば年内には治療の目途がたつでしょう。がんの状態によっては術後に
抗がん剤治療やホルモン治療などを受ける可能性もあります・・

えっと、えーっと、は、はい。

診察室から出る直前、もう一度先生にアホな質問をした。

「乳がんで確定ってことでいいんですよね?」


診察室から出て、また1時間くらい待って会計を済ませて、病院の外に出て、
すぐダンナと母親に電話をかけた。ぽろぽろ涙が出た。怖かった。

16:00から参加するはずだったTRANSWEETSの撮影に行けないっていう謝罪の
メールを送った。

気持ちを落ち着かせようと入った喫茶店で涙腺決壊。
こんな気持ちになるのもこんなに泣くのも久しぶりだ。若かりし頃に失恋したと
きぶりか。

キャンセル処理やら色々やらなあかんな・・留学もこれで白紙か・・頑張ったの
にな・・・でももう一度オーディション受ける気力は無いわ・・あー何があかん
かったんやろ・・とかぐるぐる考えて泣いた。

家に帰って、とりあえず20:00からのリハの準備をして、南国☆パンティーズの
リハに行って、リハして、また帰って来て。

今日から海外出張予定だったダンナが予定を変更して帰って来てくれていて本当
に助かった。一人だったらどうなっただろう。怖いわ。


そしてこの日から8/28までの2週間、絶望的で悲観的な日々を送る。
最悪のことばかり考えて自分を責めては泣く、の繰り返し。

怒濤の悲劇のヒロイン週間についてはまた次回、書きます◎

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