すず奴です。
昨年10月の入院の話がまだ終わってないとは!
どっひぇ~
時間が経つと「わざわざブログに書かなくてもいっかなー」と思えて
きちゃっていけない、いけない。
可能な限り、記録しておこう。
注意)ちょいグロな写真があります
■10/11
手術後、私は管人間(くだにんげん、姉により命名)になっていた。
口に酸素マスク、左わきにドレーン、右手に点滴、そして尿道カテー
テル。身体が外界にぼんやりと拡張している感じがした。
管がついたらさぞや動きづらいだろうなーやだなーと手術前は思って
いたけど、実際のところ眠いし動きたく無いし動く必要も無いしで
あまり苦じゃ無かった。
でもちょっと動くと、左のわきが無性に痛い。
あらやだ、手術したところってこんなに痛むのね。
けっこう大きい傷になったのかしら・・およよよ・・と悲しくなって
いたんだけど、実際に痛いのは手術したところではなく、ドレーンが
体内に入ってるところだった。身体を動かすたびにドレーンが肋骨の
神経を刺激する。
ドレーンって痛いんだな。
切って取って縫った手術部分より痛むなんて。
おそるおそるわきを見てみたら。
ドレーン、こんな風にがっつり入ってた↓
体外に出るポイントで、ズレないように皮膚と縫い付けてある・・
痛いよ、そりゃぁ。
さて、管人間から真人間になっていく過程を書いていこう。
けっこうあっさり短期間で戻れたよ◎
1)酸素マスクOFF(真人間度:20)
10/10手術日の夜、執刀医の先生が様子を見に来がてら外してくれた。
ついでに「今日は何人くらい手術したんですか?」って聞いてみた。
先生は思わせぶりに「ふふふ~何人だろうねぇ」って言うだけで人数は
教えてくれなかった。
私の前と後にも手術を受けた方がいるようなので、少なくとも3人?
もっと多いかも?
大変な仕事だな・・あと人数とかむやみに教えたりしないんだな。
2)カテーテルOFF(真人間度:50)
10/10手術日の深夜、看護師さんが抜いてくれた。
同時に手術時からつけてたむくみ防止ストッキングも脱がせてくれた。
「点滴ついたままですけど、自力でトイレ行ってみてくださいね~」
って看護師さんに言われたものの、眠いし面倒なので行かなかった。
3)点滴OFF(真人間度:70)
10/11手術翌日の早朝、看護師さんが抜いてくれた。
身軽になったのでゆっくり起き上がってトイレに行った。
左わきが痛むとはいえ全然普通に歩けてびっくり。
さらにハンパ無い量のおしっこが出てまたびっくり。
(尿量計測継続中だったので測ったら計量カップ満杯だったw)
頑張ってもっと早めに行っておくべきだったかも、トイレ・・
なんと、手術翌朝までにドレーン以外の管が全部外れたことになる。
医学って、人間の身体って、すごいなぁ。
8:00。点滴も抜けたので朝食を食べる。
朝食を食べ終わった頃、母とダンナがお見舞いにきてくれた。
「できるだけ歩いてリハビリしてくださいね」
と看護師さんに言われたこともあり、昼食を食べた後、3人で院内の
ホールで開催されるクラシックコンサートを聴きに行った。
ちなみに、ドレーンから排出される体液はこんな感じにパックに保管
される。パックを首から下げれば移動も楽々♪
(ちょいグロ注意)
コンサートでピアノやフルート、バイオリンの演奏を聴いた。
14:00、乳がん経験者の方がボランティアで話に来て下さった。
1対1だよー。贅沢だよね。ありがたい。
術後のこと、社会復帰のことなどを話していただいた。
ボランティアの方とお話しして気付いたこと。
がんのステージって、手術で摘出した部分を調べた上ではっきりする
ものだってこと。つまり手術後じゃないと判明しないの。
手術前の生検で「非浸潤ガン」と分かって、本やネットで
「非浸潤ガン=ステージ0」って情報を得てそう信じてたけど、
先生から直接伝えられた訳ではない。そう、私が勝手に「ステージ0」
と思い込んでいただけ。
・・あわわわ。なんか先走っちゃってた。
※後日、術後診察で「ステージ0」と診断され、ほっとしました。
夕方、姉夫婦が関西からお見舞いに来てくれた。
お花と、三番目の妹(※)と一緒に作ってくれた手作りクッキーと
手作りくまモンカップケーキをもらった。嬉しい!!
※松山家は四姉妹。すず奴は次女。
母とダンナと姉夫婦が帰って一人になると、やっぱりさびしい。
看護師さんに背中を拭いてもらい、下半身だけシャワーを浴びた。
ドレーンが抜けたら全身シャワー可能。早く髪を洗いたい・・
今夜も何もすることが無いので寝た。今夜もよく眠れた。
退院するまで書ききろうと思ってたけど、もうずいぶん長文になっ
ちゃったので、ドレーン着用のまま(※真人間度:70)次回へ繰り
越します◎ 次回こそ退院まで書ききるぜっ
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管人間から真人間へ
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